旧谱新曲:近代中国审判制度中的司法资源研究
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髙見澤 磨[2]

本書は、「司法資源」の観点から中国近代法史、とくに清末から中華民国前期の司法制度形成の歴史を描くものである。

司法資源とは、国家の司法活動に投ぜられる、または、必要とされる資源であり、本書の主たる対象は、財源と人材とである。資源や司法資源についての説明は本書緒論冒頭において行われている。しかし、細部にいたるまでは確定的な定義を与えていない。このことは、賢明な学術的態度であり、本書を成功に導いている。

読者が読後に受ける印象にしても、あるいは本書を読む前に持つ先入観にしても、清末·民国前期においては、財力の不足と人材の不足とから、十分な近代的司法制度を形成することができなかった、というものであろう。大筋ではそれは誤りではない。本書の功績の第一は、そうした情況を、史料を用いて実証的に示した点にある。しかし本書の功績はこれに尽きるものではない。

資源とは、広義には、利用可能な人·物·事象の全てである。そうした観点に立ったとき、財力の不足と人材の不足を指摘するだけでは足りない。その場にいた人々の工夫や努力もまた資源となる。この点をも実証的に描いたことは、本書の功績の第二であり、それは第一の功績とほぼ同等のものである。例えば、伝統は資源となりうるか、という問いにも回答の可能性を示している。本書において論じられる県知事兼理司法や覆判は、一見すると伝統復活の印象を与え、近代的な司法の独立とは相容れない制度として描くこともできるが、他方では、限られた人材や財力の中でのやむを得ざる工夫であって、伝統が選択肢を提供しているとみることもできる。また、必要とされる財源の基本は「税」であるが、清代から近代に至る中国史の興味深い点は、税で不足するときには「費」を用い、それでも足りない場合には「捐」(またはそれに相當するもの)を用いることである。本書が描く財源確保の努力の中にも伝統を見いだすことができるであろう。さらに、苦しい情況に対処するための便宜の措置が制度化していく過程を見いだすであろう。

本書の「審判制度」や「司法」は、主として司法官およびその下で働く書記官等によって担われるものであり、「律師」は直接の対象ではない。しかし、中国近代律師制度については、学界に相当の学術成果の蓄積があるので、これと合わせ読むことで、本書をより理解できることと思う。

著者は、2005年4月から1年間、東京大学·東洋文化研究所の訪問研究員として研究を行い、その間に自身の修士論文(中国人民大学·清史研究所)「清末就地正法研究」を日本語訳し、東京大学·大学院·法学政治学研究科·博士課程入学試験受験のための論文として提出した(同博士課程において、審査のために提出する論文は原則として日本語または英語と定められている)。この論文に対する評価と筆記試験·口述試験の成績とにより入学が認められた。序執筆者は、著者が訪問研究員であったときの受入教員であり、博士課程における指導教員である。2006年4月からは同博士課程において博士学位請求論文作成のために研究を進め、「清末·民国前期における近代裁判制度形成過程の研究-「司法資源」の視覚からの考察」を以て2011年3月に博士(法学)の学位を取得している。日本のことを知る読者は、2011年3月という言葉から、東日本大震災を想起するであろう。東京の被害は大きくはなかったが、学位記授与の典礼は行われなかった。残念な気持ちは、2011年3月に卒業や学位取得を果たした人々にとって共通のものであろう。その後中国人民大学·法学院に職を得て教壇に立っている。本書は、博士論文を基礎にさらに内容を充実させたものである。

中国近代法史研究は、本書緒言の「学術綜述」にあるように、1980年代頃から少しずつではあるが、活発に行われるようになった。清末以前の中国法制史(中国では中国法律史という言い方が一般的かもしれない)は、法史学の重要な一分野であり、日本のように律令制度や礼制を継受した場合には、法学·歴史学いずれにとっても不可欠の研究分野である。また、中華人民共和国法研究については、経済関係や家族関係を中心に、実務の要請もあり、外国人にとっても重要な研究対象である。これらと比べると清末から中華民国の時期のいわゆる中国近代法史は研究蓄積の薄い分野であった。著者が日本に留学した今世紀初頭は、若い研究者が中国近代法史を積極的に研究を始め、あるいは成果を挙げ始めた時期であり、著者もそのひとりである。

本書は、第三章で日本の司法人材の制度について若干触れている。このことから日本近代においても、司法資源と近代法制度形成との緊張関係をうかがうことができる。中国や日本にとって西洋近代型の法整備の目的のひとつは不平等条約改正であり、主権国家としての独立の実質化とも関わって、時間という要素もまた重要な資源であった。1894年、日清戦争直前に日本はイギリスとの間で日英通商航海条約を締結、治外法権撤廃のために5年間内に西洋型の近代法制とくに民法典を制定することが必要となった。このことは法典編纂を促進したという側面とヨーロッパにおける新たな法の進展、とくにドイツ民法典制定を待つことなく立法することを迫られたという側面とを有する。こうした時間の要素は、本書においては、明示はされていないものの、本書によって描かれる司法制度形成の責めを負った人々の各種の努力や苦悩から時間の重さ知ることができる。また、中国近代法史における検察制度の弱さも描かれている。治安を維持するために警察制度に資源が必要であり、また、裁判制度が職権主義的で糾問主義的であって裁判官の主導で手続が進む場合には、検察の重要性は相対的に低くなる。このことは日本近代法史においても、その初期には類似の情況があった。国家財政全体で言えば、軍事費は大きな負担となり、また、近代国家として整備しなければならない項目は司法以外にも、警察·教育·衛生·産業など多岐にわたった。この点についても本書は軍費との関係で言及されている。

本書が実証的に示した中国近代法史、とくにその前半史は、独立を保った他のアジア諸国や植民地体制下で近代法形成が行われた他の地域との比較を考える上でも重要な学術成果である。

2021年3月21日