第六節 例文出典と記号の扱い方
本研究で用いる用例は主に日本国立国語研究所が開発した「現代日本語書き言葉均衡コーパス(Balanced Corpus of Contemporary Written Japanese、以下BCCWJと略称)(2009版)」から抽出したものである。
BCCWJからの用例を中心として考察するのは次の理由による。新聞記事や古めの文学作品を中心とした従来の日本語電子資料と比べて、BCCWJは書籍だけでも2万冊という膨大な数の出所から採集された現代日本語の実例を集成したものである(田野村忠温2009、2012)。また、BCCWJの設計·構築上、作為的なデータの取捨を避けることによってコーパスの均衡性、代表性を確保しようするところから、名前通りに現代日本語の実態を均衡的に反映しているコーパスである(田野村忠温2009、2012)。
しかし、こうした均衡性と代表性を有する反面、BCCWJの使用に際して、次のようなことにも注意しなければならない。それは、BCCWJが複雑な内部構成を有すること、そして、従来の日本語研究にはあまり使われてこなかった種類のデータも含んでいるということである。BCCWJは出版(書籍、雑誌、新聞)、図書館(書籍)、特定目的(Yahoo!知恵袋、国会会議録、白書など)と名付けられた3つのサブコーパスからなっているため、これらの複数のサブコーパスを単純に足し合わせて使うことには問題があり、データの異質性の高い特定目的のサブコーパスの併用にはとりわけの慎重さが必要である(田野村忠温2012)。とくに、特定目的のサブコーパスはデータの特殊性や重複などの問題があると指摘されている[17]。そのため、田野村忠温(2012)は「実際のところ『均衡』の形容は出版物と図書館のサブコーパスにのみ」と指摘している。こうした指摘を受けて、本研究はBCCWJの出版物と図書館のサブコーパスにおける書籍のみを対象にして考察を行う。
他には、記述の必要に応じて青空文庫[18]、辞書からの用例、またインフォーマントチェックを受けた作例も一部取り入れている。作品名のみ示すのは「現代日本語書き言葉均衡コーパス(2009版)」からの用例で、作品名と「青空」で示すのは青空文庫からの用例である。また、辞書から採取した例文は辞書名を記す。出典や出所を示していないのは作例である。
本研究で使われる記号について、次のように説明しておく。
“*”当該用例が非文法的であることを示す。
“?”当該用例がやや不自然であることを示す。
“??”当該用例がかなり不自然であることを示す。
“#”当該用例が文法的であるが、議論の主旨から外れる用法である ことを示す。
[1] 益岡隆志(2013:89)を参照のこと。
[2] 詳しくはHopper&Traugott(1993:199-242)、Ohori(2011)を参照のこと。
[3] 英文法では「連体節」と「連用節」ではなく、「関係節(relative clause)」と「副詞節(adverbial clause)」と呼んているが、英文法の「関係節」と日本語の「連体節」との関係について詳しくは井上和子(1976:163)を参照のこと。
[4] 中国語文法研究では、「他们都回来了是好事(彼らがみんなもどって来たのは結構なことだ)」のような文は単文に帰属されている。
[5] 中国語文法研究では「複句」と呼んでいるが、ここでは説明の便宜上、「複文」という術語で統一する。
[6] 詳しくは相原茂(1982)を参照のこと。
[7] 詳しくは第二章第五節を参照のこと。
[8] 詳しくは第二章5.1を参照のこと。
[9] 日本語の格助詞という概念は、西洋文法の「格」という概念から影響を受けたこともあり、従来それに対する認識も必ずしも一致していない。格(case)は、その語源であるラテン語cāsusに由来し、本来屈折語の中で提唱された概念であり、名詞の語形変化を指している。すると、もし格を語形変化の対立に基く形態的なカテゴリーとすれば、語形変化のない言語(中国語や日本語等)には格が存在しないことになる。しかし、本質的に見れば、格は名詞が文中で他の単語に対する関係を表すものなので、屈折語だけではなく、独立語や膠着語にも見られる一般的文法カテゴリーである。そこで、フィルモア(1975:300)は格を深層格と表層格に分け、深層格とは深層構造において、一定の意味的役割を表す格のことであるが、深層格にいろいろな変形規則が適用されて表層構造に生じた要素に付与される標示が、表層格であるとしている。深層格はあらゆる言語に共通して存在するが、表層格はいかなる言語についても同じような形で存在するとは限らない(フィルモア1975:300)。本研究では、表層格を問題とする。言語によって、表層格も異なってくる。英語と中国語の表層格の中で、主格や対格は統語的な位置関係によって標示されるし、その他の表層格は前置詞によって標示されるが、日本語の表層格は格助詞という文法標識によって標示される。
但し、格助詞については、従来形態論的立場と構文論的立場に分けられる。形態論的立場は助詞や助動詞を独立した品詞と認めず、格助詞を名詞のくっつきとして、名詞の形態的範疇であるという主張である(鈴木重幸1972)。一方、構文論的立場は、「格助詞は名詞に後接して連用成分をつくり、用言にかかる。……名詞がそれ自体で本来、主語·目的語などとしての性質を持っているわけではない。そして格としての働きは、むしろ格助詞によって明示されるのであって、名詞単独では文の中では働き得ないのである」と主張している(北原保雄1981:72、1984、奥津敬一郎1986:10)。本研究では、格助詞の位置付けに関して形態論的範疇ではなく、構文論的範疇という立場を取る。
[10] 連体から連用への複文構文変化に関しては、格成分という形式のほかに、動詞性形式と助詞性形式もあるが、格成分と比べて周辺的なものである(詳しくは第二章第五節を参照のこと)。そのため、格成分を中心とする複文構文変化についての研究は、日本語の連体から連用への複文構文変化に関する研究の中心に位置づけられると言えよう。
[11] 野田尚史(1989、2007)は、文の二次的成分をなす「名詞+格助詞」は格成分ではなく、「文節」と呼んでいる。
[12] 本研究では、一つの述語を中心としたまとまりを「節」としているが、「名詞+(格助詞/格助詞相当句+)の」等の形式を「句」としている。詳しくは第二章第三節を参照のこと。
[13] 「ガ格成分」、「ヲ格成分」などは格範疇、「主語」、「目的語」などは統語範疇に属している。他には「動作主」、「対象」という意味範疇での名付けもある。格範疇、統語範疇、意味範疇の区別は第四章3.2.2.2で詳述する。
[14] ゲシュタルト(Gestalt)とは、各要素が有機的に関わり合い、一つの単位を構成して機能を果たすまとまりを持った全体と規定され、「全体は部分の総和以上のもの」という考え方をもとにしている(河上誓作1996:1)。日本語研究において早くもこのような構文のゲシュタルト性を指摘したのは、佐久間鼎(1943)である。佐久間が「文」に替わるものとして「構文」という述語を使用するのに対して、益岡隆志(2013)が「文」と「構文」を区別して使用していると言う点では多少違いがあるが、構文のゲシュタルト性を重視する点では軌を一にするものであると言える。
[15] 詳しくはHopper & Traugott(1993/2003:2–3)、河上誓作(1996:180)、大堀壽夫(2002:200)を参照のこと。
[16] Hopper & Traugott(1993/2003:9)を参照のこと。
[17] 例えば、国会会議録は現代日本語文法の通時的変化を研究するために利用できる(田野村忠温2008)。また、インターネット文書は特殊な言葉遣いの出現や書き誤りの多さの他に、同一データの重複出現という問題点もある(田野村忠温2012)。
[18] 青空文庫からの用例はhttp://www.aozora.gr.jp/で検索したものである。